すっぱいぶどうは食べ飽きた

東京をサバイブ!

Fly boy, in the sky

〝憧れの人〟は一体いつまで憧れの人なんだろう。

学生時代ずっと憧れていた先輩が結婚したと聞いて、柄にもなくそんなことを思った。


わたしは昔からホームシックにかかることがある。

それはある日突然なんの前触れもなくやってきて、胸騒ぎとは少し違う、寂しいような何かが足りないようなとにかく奇妙な気持ちになるのだ。

もっとも、それは実家にいるときも上京してからも自室にこもっているときにも、親しく心を許した人といるときでさえもやって来るから、ホームシックとは言わないのかもしれないけれど。

でも、その時確かに“帰りたい”と思うのだから、これをホームシックと呼ばずに何と言う、とも思う。


初めてこの気持ちを自覚したのは幼稚園の頃で、教室から園庭を眺めていたその時の様子をぼんやりと思い出せる。泣きもしなかったし、先生にも言わなかった。

あまりに不明確で漠然としたものなので、わたしはずっと誰にもこのことを言えず、もしかしてこんな気持ちになるのは自分だけなんじゃないだろうかと不安に思ったりもした。

その答えは梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」に載っていて、ああこの気持ちを知っているのは自分だけではないんだ、、とほっとしたのを覚えている。

(この本が小中学生の課題図書…推薦図書?なのは英断だと思う)

 


先輩はいってしまえば野球部のスターみたいな人だったので、いつも真っ黒に日焼けしていて笑うと歯の白さが際立った。

たくさんの人に囲まれていて、ホームシックとは無縁の人なのだと思うけど、もし出来るなら聞いてみたかった。


突然何の前触れもなく胸がもやもやして、ここじゃないどこかに行きたい、帰りたいと思うことってありますか?

どうしても思い出せない大切な約束を抱えてるみたいに。

たぶん、先輩も大抵の人もないと答えて一笑に付すと思う。

(もしかしたら言わないだけでみんなあるのかもしれないけど)


でも、わたしはいつも野球観戦のときは胸が高鳴ってホームシックが入り込む余地がありませんでした。

だから、あなたの傍にはそんな気持ちはやって来ないんじゃないかと思っていたんです。

いつもシーズンの開幕を楽しみにしていました。わたしにとっては春を連れてくる人です。


きっと言うタイミングは来ないし、それでいいと思っている。

 

別にホームシックのことを憎んだり疎ましく思っているわけではなくて、これは自分の性質のひとつだと思って受け入れているんだけど、不思議だなあと思うことはある。

 


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吉田秋生先生の作品で Fly boy, in the sky という作品がある。 英二とカメラマンの伊部さんとの出会いを描いたバナナフィッシュのアナザーストーリーだ。

伊部さんの気持ちがわかりすぎてつらかったんだけど、似たようなことがかつてあったと懐かしく思う。

 

“持ってない” とあなたは言った。

春季リーグ開幕前、幹部対談のときだ。

斎藤佑樹さんじゃないけど、俺って持ってると思うことはありますか?”

“持ってないスよ。高校のときは少し勘違いした時期もあったけど、肝心なときだめだから”

 

自嘲気味な答えになんて返したらいいか分からず、わたしは曖昧に頷いて次の質問をした。

 

その時のあなたに教えてあげたい。

あなたはまだ野球をしていて、プレイしている時はひどく楽しそうですよ。主将にもなって、自分でも驚いていました。

 

望遠のファインダーを通すと色んなものが見えてしまう。

時にはこの人の心の中まで覗いてしまったんじゃないかと錯覚したり。……錯覚なんだけど。

分かる、と言ったら傲慢だけど、伊部さんは英二が忘れてしまっても、彼の言葉を覚えているだろう。わたしと同じように。


あなたとあなたの好きな人がどうか末永く、ひとつひとつの幸せに、構成されていきますように。

夏休みの宿題

どうしたら結婚式の引出物のカタログギフトを期限内に返せる人間になれるだろう。

帰省したら母に、「◯◯ちゃんの結婚式の引出物頼んだ?」と言われてしまったので、「頼んだよ」と嘘をついた。

隣で聞いていた父に「どうせ頼んでないんだろ」と図星をつかれたので、「頼んだってば!」とムキになって答えてしまった。

3月が期限のカタログギフトはもちろん手付かずのまま。

思えば夏休みの宿題もギリギリまで溜めるタイプだった。

しかも、やらないなりに罪悪感はあるので心から休みを楽しめないし、土壇場で間に合ってしまうからなおタチが悪いのだ。

ギリギリでいつも生きていたいから~♪

アイドルソングが学生時代に流行ったけれど、わたしだってできるならしゃくしゃく余裕で生きてみたい。

朝起きるのも出社するのもギリギリだし、ホテルのチェックアウトだっていつもギリギリ。

大学もギリギリ1校だけ合格したし、年末調整の書類を出すのもギリギリで、なんとかギリギリ社会人をやっている。

たぶん、この世にはいつもギリギリの人間か、そうじゃない人間かしかいないと思う、極端に言えば。

わたしは自分のことを、ギリギリ間に合ってきた人間だと思っている。

少しヒヤッとしたことはあっても、本当の間に合わなかった、を経験したことがないのだ。

ギリギリ、そのギリギリに間に合わなくなったらどうなってしまうんだろう。

いつかギリギリに滑り込めなくなるかもしれないことを、わたしはこわいと思っている。

それでも、ギリギリなんとかなる!を胸に生きてやろう。

やっぱりわたしは甘ちゃんなので、間に合ってほしいと心から願うことにはギリギリの神さまが振り向いてくれると信じている。

球運、北へ。

8月5日に甲子園が開幕する。

今年は100年の節目の記念大会だ。

 

毎年この季節になると、わたしはそわそわしてしまう。もちろん、地元の代表校の勝敗が気になるのもあるけれど、灼熱のグラウンドでキラキラと光る選手たちを観ていると、責められているような気分になるのだ。

俺たちは、こんなにこんなに頑張った。 

お前はどうだ?俺たちに誓って頑張ったと胸が張れるか。


わたしの地元・長野県は高校野球がそれほど盛んではない。

常連校の松商学園は甲子園出場全国最多記録を争っているが、たくさん出ている割に一回戦で負けて帰ってくることが多いので、“出ると負け”の負け商なんて言われることもある。


同僚には「長野って予選に出るの30校くらい?」なんて言われるけれど、今年の参加校は91校で四捨五入したら100校だ。

全国を見渡しても、けして少ない数ではない。


「甲子園の優勝旗は白河の関を超えない」というジンクスがある。

このジンクスの通り、東北地方は未だに甲子園での優勝経験がない。(長野は東北地方じゃないけれど)

雪国=野球後進国というイメージは、やはり根強いと思う。

 

そんな雪国生まれのわたしにとって、世代の甲子園のスターといえば、北海道の駒大苫小牧だ。

 

「北海道を舐めるなよ、そういう気持ちでやってきた」

 

佐々木主将の言葉には全てが詰まっていたと思う。


当時わたしは中学生だったけれど、愛媛の済美との決勝戦をドキドキしながらみていた。

勝利の瞬間、祖父が「大したもんだ。北海道が勝っちまった」と感嘆のため息を吐いたのを覚えている。

何しろ優勝旗は白河の関を飛び越えて、津軽海峡を渡ってしまったんだから。

 

わたしの大好きな茨木のり子さんの作品の中に「準備する」という詩がある。

 

さびしい季節
みのらぬ時間
たえだえの時代が
わたしたちの時代なら
私は親愛のキスをする その額に
不毛こそは豊穣のための<なにか>
はげしく試される<なにか>なのだ

 

初めて読んだ時に、これは苫小牧の詩だと思った。

 

大人になっても時々、雪上でノックを受けたという苫小牧の選手を思うことがある。

東京の冬ももちろん寒いけれど、長野の冬は痛い。

北の果ての北海道の冬はどれほどのものだろう。

凍結した駅前の急カーブを曲がり切れずに、よく転倒した高校時代。

こんなところ早く出て行ってやる!と思っていたのに懐かしく、大好きだけど大嫌いなわたしの故郷。

もしかして彼らも、美しい北の大地を憎んだことがあったかもしれない。

雪さえ降らなければ。もっと練習ができれば。

 

でもそのハンディキャップこそ、北の大地に優勝旗をもたらした原動力に違いないけれど。

 

長野代表の佐久長聖は大会2日目、北北海道代表の旭川大と対戦する。


今年こそ深紅の大優勝旗が長野に来ることを、飽きずに懲りずに願っている。

愛より親切が残る

カート・ヴォネガットの“愛は消えても親切は残る”を受けて、糸井重里さんが「愛に自信がないものも、元気で生きてもよいのが愛だよ」と言っていた。
とても優しい言葉だなあ、と思った。


愛を問いかけたり試みたりすることは人を苦しめる、とも。


マンガ『僕等がいた』に、アキちゃんこと千見寺亜希子という才色兼備のヒロインの友人が出てくるが、彼女が「あたしには愛の才能はない」と言うシーンある。

 

愛は才能なんかじゃない、と反感を覚える人もいるかもしれないが、わたしにはこのセリフがしっくりきた。

 


長い片思いをする人は、人よりシャッターを切る回数が多いのかもしれない。

心の中に、たくさんの切り取った一瞬があるので、相手を自分の一部として捉えてしまう気があるのだろう。

恋愛上手な女の子って、あんまり片思いをしないと思う。

自分に興味を抱かない人に対して、深みにハマる前にブレーキが踏めるのだ。

 

 

話は変わるが片思いの曲を歌わせたらポルノグラフィティの右にでるアーティストはそういないんじゃないかと思う。

作詞は主にギターの新藤晴一さんが担当することが多いが、彼のことをわたしは片思い番長と呼んでいる。

 

中学生の頃に聞いた「アゲハ蝶」は斬新でかっこよかったが、それから10年以上経った今、この曲が本当の意味で好きだと言えるようになった。

 

当のハルイチさんは、この曲の歌詞を書きなおしたいと思っているらしいのだが。

若気の至りって恐ろしい。

 

「アゲハ蝶」についてはちょっとネットで検索しただけでもいろんな解釈があることがわかる。


特におもしろかったのが曲のラストにツッコミを入れているもの。

 

“冷たい水をください できたら愛してください”

 

この部分について要求の内容が並列でないというのだ。

「冷たい水をください」という日常的なお願いから、いきなり「愛してください」とは飛躍しすぎではないか。

つなげるのなら“ついでにアイスティーもください”くらいなものだろうという最もな意見なのだけど、わたしはここは“できたら愛してください”以外は置けないと思う。

 

もちろんひとつの解釈として。


“あなたに逢えた それだけでよかった
世界に光が満ちた 夢で逢えるだけでよかったのに
愛されたいと願ってしまった 世界が表情を変えた”

 

“あなたが望むのなら この身など
いつでも差し出していい
降り注ぐ火の粉の盾になろう”

 

アゲハ蝶は全体的に過剰なくらい献身的な愛を歌っている。

でもそこにほんの少しみえてしまう“僕”の本心。

夢で逢えるだけでいいとしながらも“僕自身”が“あなた”から愛されることを完全にあきらめてはいないのだ。

 

その気持ちが“できたら愛してください”という恥ずかしいくらい直球の言葉となって表れるのがこの曲のラストだと思う。

 

“できたら”と謙虚な入り方をしているのに要求はとんでもない。

 


でも片思いってそういうものじゃないかなと思うのだ。

好きでいられるだけでいいと思った次の瞬間に見返りが欲しくなったりする暴力性も隠し持っている。どこまでも自分のエゴ。


自分との折り合いがつくまで“終わりなどはないさ 終わらせることはできるけど”なのだ。


片思い番長の本領、ここにみれり。

 

片思いですらこんな激情が潜んでいたりするのだから、愛には問いかけたり試みたりすることがつきものだ。

“心を奪われる”とは上手くいったもので心のバランスを失う程の人に出会うというのは
すてきなことであるのと同時に、とても恐いことだとも思う。

それに激情と呼ばれるものは意図せず他人も自分も傷つけるものだから
何を以て愛とするのか書いていてもわからないけれど、愛が苦手な人がいたっていい。


最後に残るのは親切。愛に勝つ親切。結構じゃないか。

目に見えない心遣いより目に見える偽善の方がよっぽど人を救ったりする。

 

ちなみにわたしは『僕等がいた』のアキちゃんが大好き。

出版社勤務で実家はお金持ち、黒髪ロングの美人でってところはもちろん、彼女が「愛の才能がない」って潔く言ってしまえるところも好きだ。

 

 

誰もがみんな恋に狂えるわけじゃない。

 

アキちゃんにステディな恋人の気配はなかったけれど、いつかすてきな人が現れたらいいなと祈っている七夕。


梅雨が史上最速で明けたと思ったら稀に見る大荒れで、天の川は見えそうにないけれど、もうすぐ夏本番だ。

 

神宮で会いましょう

 

「神宮には、秋が1番似合いますよね」とは学生時代の後輩の言葉で、その通りだとわたしも思う。

神宮とは明治神宮野球場の愛称で、プロ野球東京ヤクルトスワローズの本拠地でもある。

 

学生野球では東京六大学を始め、東都大学野球の1部リーグで使用されており、高校野球の聖地・阪神甲子園球場と並んでアマチュア野球の聖地と言われる。

 

わたしは学生時代にスポーツ新聞部に入っていたので、春と秋のリーグ戦の時期になると週に3日は神宮に通いつめた。


少し思い出話をすると、夏休みはキャンプ取材のために夜行バスに乗って遠征したし、OP戦の日は毎回駅から野球部のグラウンドまで30分歩いた。

 

11年の震災の際も、世田谷にある野球部のグラウンドでOP戦を観ていた。

バックネット裏の古い観戦席が大きく揺れてとても恐かったのを覚えている。


まさに晴れの日も雨の日も地震の日も。


同じゼミの友達と過ごした日よりも、彼らの三振を数えた日の方が多い。

何度も何度も同じ名前をスコアブックに書き込み、そしてその度にワクワクした。

 

それだけ一つのチームばかりに目を向けていると、どうしても愛着が湧いてしまうもので、4年生が引退する秋季リーグはいつもセンチメンタルな気持ちになったものだ。

 

特に、1年生の頃から観てきた一つ上の学年の選手が引退するのは悲しかった。


新チームになるとチームのカラーはガラリと変わる。

出ている選手が違うのだから当たり前と言えば当たり前なのだけど、たった3ヶ月で全く別の、知らないチームだ。


春季リーグはその違和感を抱えながら、新しい選手を覚えていく。

やっと打順もしっくりくるようになったなと思った夏もつかの間、秋がくればもう終わりの気配を間近に感じる。

 

寂しいと思うのはいつだって見送る側の常。

引退していく当の選手たちはあっさりしたもので、4年間の野球漬け生活との決別を喜んでいたり新生活に期待していたり、けっこう晴れ晴れした顔で去っていく。


秋季リーグが終わるのは10月、入替戦までいけば11月。


まだ夏の名残りを残した9月に開幕し、半袖からマフラーを巻くようになるまで。

季節の移り変わりをまざまざと感じる。


薄い秋空と近づいてきた冬のひんやりとした空気感に外苑前のイチョウ並木がいよいよ美しく、こんなに完璧な秋の日にこの人たちはいなくなってしまうのかとちょっぴり恨めしく、ちょっぴり不思議に思ったものだ。


神宮には秋がよく似合う。春よりも、夏よりも。


それは見送る側のエゴというか、もの悲しさだなと思う。

 

神宮の通路は雑多な匂いで満ちている。


汗と日焼け止めと制汗剤と立ち食いそばとビールと、野球場を構築するすべてのものが溶けた匂いがする。


晴れの日も雨の日も、勝った日も負けた日も、薄暗いひんやりとした通路でコメントをとった。

あの独特でなんとも形容しがたい、懐かしい匂いに包まれながら。

 

友達の影響で初めてみたブログだけれど、1番最初の記事は神宮のことを書きたかった。

秋が似合うこと、懐しい匂いがすること、それから最高の球場だってこと!

 

マイホームグラウンド、今シーズンもたくさん行くからね。