すっぱいぶどうは食べ飽きた

東京をサバイブ!

球運、北へ。

8月5日に甲子園が開幕する。

今年は100年の節目の記念大会だ。

 

毎年この季節になると、わたしはそわそわしてしまう。もちろん、地元の代表校の勝敗が気になるのもあるけれど、灼熱のグラウンドでキラキラと光る選手たちを観ていると、責められているような気分になるのだ。

俺たちは、こんなにこんなに頑張った。 

お前はどうだ?俺たちに誓って頑張ったと胸が張れるか。


わたしの地元・長野県は高校野球がそれほど盛んではない。

常連校の松商学園は甲子園出場全国最多記録を争っているが、たくさん出ている割に一回戦で負けて帰ってくることが多いので、“出ると負け”の負け商なんて言われることもある。


同僚には「長野って予選に出るの30校くらい?」なんて言われるけれど、今年の参加校は91校で四捨五入したら100校だ。

全国を見渡しても、けして少ない数ではない。


「甲子園の優勝旗は白河の関を超えない」というジンクスがある。

このジンクスの通り、東北地方は未だに甲子園での優勝経験がない。(長野は東北地方じゃないけれど)

雪国=野球後進国というイメージは、やはり根強いと思う。

 

そんな雪国生まれのわたしにとって、世代の甲子園のスターといえば、北海道の駒大苫小牧だ。

 

「北海道を舐めるなよ、そういう気持ちでやってきた」

 

佐々木主将の言葉には全てが詰まっていたと思う。


当時わたしは中学生だったけれど、愛媛の済美との決勝戦をドキドキしながらみていた。

勝利の瞬間、祖父が「大したもんだ。北海道が勝っちまった」と感嘆のため息を吐いたのを覚えている。

何しろ優勝旗は白河の関を飛び越えて、津軽海峡を渡ってしまったんだから。

 

わたしの大好きな茨木のり子さんの作品の中に「準備する」という詩がある。

 

さびしい季節
みのらぬ時間
たえだえの時代が
わたしたちの時代なら
私は親愛のキスをする その額に
不毛こそは豊穣のための<なにか>
はげしく試される<なにか>なのだ

 

初めて読んだ時に、これは苫小牧の詩だと思った。

 

大人になっても時々、雪上でノックを受けたという苫小牧の選手を思うことがある。

東京の冬ももちろん寒いけれど、長野の冬は痛い。

北の果ての北海道の冬はどれほどのものだろう。

凍結した駅前の急カーブを曲がり切れずに、よく転倒した高校時代。

こんなところ早く出て行ってやる!と思っていたのに懐かしく、大好きだけど大嫌いなわたしの故郷。

もしかして彼らも、美しい北の大地を憎んだことがあったかもしれない。

雪さえ降らなければ。もっと練習ができれば。

 

でもそのハンディキャップこそ、北の大地に優勝旗をもたらした原動力に違いないけれど。

 

長野代表の佐久長聖は大会2日目、北北海道代表の旭川大と対戦する。


今年こそ深紅の大優勝旗が長野に来ることを、飽きずに懲りずに願っている。